及富とは

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「富を及ぼす」と書いて
「及富(おいとみ)」
私たちの工房の名前です。

鉄器を通して、
多くの人に富をもたらしたい。
それが私たちの願いです。

及富という名前は
5代目及川富之進から
引用しています。

及富と南部鉄器の歴史

南部鉄器の歴史は、平安時代、近江の国(滋賀県)より時の藤原氏が鋳物師を招いたのが始りとされ、おおよそ950年前にさかのぼり現歴史遺産 平泉全盛期時代は梵鐘・仏具なども作り平泉文化の一翼を担ったと言われ、江戸時代には伊達藩の保護も受け、昭和34年、盛岡と奥州水沢とが南部鉄器のブランドを確立し現在に至ります。

及富は、1848年、現在の岩手県奥州市水沢羽田地区にて、初代 及川利源太により宝生堂として創業され、伊達藩の保護のもと伊達家のお抱え釜師として活躍しました。茶の湯から始まった及富の歴史は、170年を越え現在も継承されています。盛岡、奥州、二つのルーツをもつ岩手県の鉄器産業が南部鉄器として伝統的工芸品に指定されたことからこの地に古くから伝わる鉄器の魅力を伝えてまいりました。

地球の誕生から今日まで、人類の文明を支える主要な資源となってきた鉄を、将来孫の代まで世代を超えて残し活かす、サスティナブルなものづくりを進める職人集団です。

製作工程

弊工房は型作り、鋳造、仕上げ、着色、出荷まで一括生産をしているのが特徴です。甑(こしき)炉と呼ばれる溶解炉を用いて日々鉄を溶かしています。

砂型

夏の暑い日には、砂の乾燥を
冬の寒い日には、砂の凍結を気にしながら
日々職人の作業に微塵も無駄な動きは、ありません。

鋳造

溶けた鉄を型に注ぐ作業は、真剣勝負。
細く、ある時は太く製品をイメージして流し込みます。
息を止めて職人の手加減一つ、熱い鉄が型に流れて行く。
その時の様子で[出来た]と、解るといいます。
誰も寄せ付けない凛とした姿がそこにありました。

研磨仕上げ

砂型から取り出した製品は、焼き付いた砂を落とし
研磨加工の仕上げに入ります。
繊細な模様、アラレ模様その他、様々な形、その一つ、
ひとつを完成前の鋳物生地として熟練の技が光ります。

釜焼き

おおよそ900度の高温で鉄瓶を焼き内側に酸化皮膜
といわれる皮を施す作業です。
皮膜はある程度の錆を防ぐための工程ですが完全に防
錆では無く鉄分の溶出が程よく出る様に釜焼きという
技が生まれました。

着色・仕上げ

最後の塗装仕上げとなり鋳物本体はもちろん蓋や鉉も
一緒に仕上げます。
色々な塗色や仕上げの完成度は、職人技の見せ所。
緊張する作業の連続です。